インマヌエルなるイエス

マタイ1:18-25

22.12.11.

マリヤは、御使いガブリエルに告げられていた通り、聖霊によって身ごもりました。マタイは、「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっいる。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 (訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(22-23)と語っています。その「預言」とはイザヤ7:14です(1:23)。しかし、イエスが実際に「インマヌエル」という名で呼ばれたことはありません。これは、単なる名前ではなく、イエスが「インマヌエル」なるお方という意味です。では、「インマヌエル」と呼ばれるイエスは、どういうお方なのでしょう。

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イエスの処女降誕

ルカ1:26-38、マタイ1:16-25

22.12.4.

聖書は、イエス・キリストが処女マリヤから生まれたと証言しています。これは「処女降誕」と言われ、私たちの救いにとって、非常に重要な出来事でした。この処女降誕は、どのようにして起こったのでしょうか。処女降誕には、どのような意味があるのでしょうか。

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ダビデとゴリヤテとイスラエル人

Ⅰサムエル17:1-58

221127

ダビデとゴリヤテの話は有名です。しかし、イスラエル人たちは、その戦いを見てどう思ったでしょうか。今日はイスラエル人たちに焦点を当てて御言葉を学んでみましょう。

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神よりも人を恐れたサウル王

Ⅰサムエル13,15章

22.11.20.

聖書の中で、繰り返し「神を恐れよ」と命じられています。「神を恐れる」ということは、「神を怖がる」ことではありません。「神を恐れる」とは、「神に対して畏敬の念を抱く」ということです。具体的には…。

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神を恐れよ(2)

申命10:12-13

22.11.13.

聖書の中で、繰り返し命じられていることの一つは「神を恐れよ」です。「恐れる」という言葉には、「怖がる」(fear)という意味があります。しかし、「神を恐れる」ということは、「神を怖がる」ことではありません。「神を恐れる」ということは、「神に対して畏敬の念を抱く」ということです。では、「神を恐れる」ということは、具体的にどのようなことなのでしょう。

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神を恐れよ

伝道者12:13-14

22.11.6.

聖書の中で、繰り返し命じられていることの一つは「神を恐れよ」です。「神を恐れる」とは、どういうことなのでしょう。

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敵の力を持ちくだくクリスチャン

詩篇110篇

2022.10.30

この110篇は預言的詩篇です。ダビデによる賛歌とありますから、神はダビデを用いて、彼への約束(ダビデ契約)を御霊によって謳わせたのでしよう。
預言としては「キリストの父の右の座への着座」と「最後のさばきとミレニアム」最後には「御父が御子に御霊を与えられる」ことも預言されています。特に 終わりの時に神は「敵を打ち砕く」と宣言されます。私たちも、終わりの時代に生かされたクリスチャン、敵の力を打ち砕いて勝利しましよう。

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ベエル・シェバで神と出会ったイサク

創世記26:12-25

221023

私たちの周りには、優しく善良な人たちばかりとは限りません。時には、誰かに争いをしかけられたり、敵意を向けられたりするかもしれません。イサクは豊かになると、ペリシテ人たちに妬まれ、敵意を向けられました。このときイサクはどう対処したのでしょうか。御言葉から学びましょう。

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イエスにとどまり実を結ぶ(6)

ヨハネ15:1-10

22.10.16.

イエスは、ご自分と私たちとの関係を「ぶどうの木」の例え話をもって説明されました。「イエスにとどまる」、「実を結ぶ」とはどういうことでしょう。

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イエスにとどまり実を結ぶ(5)

ヨハネ15:4-10

22.10.9.

イエスは、ご自分と私たちとの関係を「ぶどうの木」の例え話をもって説明されました。「イエスにとどまる」、「実を結ぶ」とはどういうことでしょう。

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