23.1.22.
3:1よると「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」とあります。その時代、主の語り掛けは「まれ」にしかなく、「幻が示され」ることもありませんでした。主からの啓示の無い、霊的な暗黒時代だったのです。そのような時代に、どうしてサムエルは主の御声を聞くことができたのでしょう。どのようにしたら、主の御声を聞くことができるのでしょう。
23.1.15.
2章には、ハンナの祈りと、祭司エリと彼の息子たちの堕落について、また少年サムエルがどのように育ったか記されています。特に神を尊んだハンナとサムエルと、神をさげすんだエリと息子たちが対比されています。
23.1.1.
Ⅰサムエル記は、イスラエルが士師時代から王政時代に移行していく歴史を記しています。イスラエルは神を王とする神政政治から人を王とする王政政治(君主制)へと移行しました。Ⅰサムエル記には、サムエルの誕生と生涯、最初の王サウルの統治と衰退、ダビデの選びと試練について書かれ、最後はサウルの死で終わっています。またⅠサムエル記では、サウルとダビデが対象的に記述されています。ダビデがへりくだり、神に従って、神に用いられていくのに対して、サウルは高ぶり、神に背いて、神に見捨てられていきます。サムエルの誕生は、母ハンナの祈りの結果でした。どのような祈りがされたのでしょう。
22.12.25.
キリストが生まれた夜、「ベツレヘム」の野原では、「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」(8)いました。すると突然「羊飼いたち」の前に、御使いが現れて、キリストの誕生を告げました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:11-12)
22.12.18.
これまでイエス・キリストの誕生を描いた絵のほとんどの絵には、イエスがワラぶき屋根の馬小屋で生まれた様子が描かれています。実際、イエス・キリストは、どのような状況に生まれたのでしょうか。そして、それはどのような意味を持っているのでしょうか。
22.12.11.
マリヤは、御使いガブリエルに告げられていた通り、聖霊によって身ごもりました。マタイは、「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっいる。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 (訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(22-23)と語っています。その「預言」とはイザヤ7:14です(1:23)。しかし、イエスが実際に「インマヌエル」という名で呼ばれたことはありません。これは、単なる名前ではなく、イエスが「インマヌエル」なるお方という意味です。では、「インマヌエル」と呼ばれるイエスは、どういうお方なのでしょう。
22.12.4.
聖書は、イエス・キリストが処女マリヤから生まれたと証言しています。これは「処女降誕」と言われ、私たちの救いにとって、非常に重要な出来事でした。この処女降誕は、どのようにして起こったのでしょうか。処女降誕には、どのような意味があるのでしょうか。
22.11.20.
聖書の中で、繰り返し「神を恐れよ」と命じられています。「神を恐れる」ということは、「神を怖がる」ことではありません。「神を恐れる」とは、「神に対して畏敬の念を抱く」ということです。具体的には…。
22.11.13.
聖書の中で、繰り返し命じられていることの一つは「神を恐れよ」です。「恐れる」という言葉には、「怖がる」(fear)という意味があります。しかし、「神を恐れる」ということは、「神を怖がる」ことではありません。「神を恐れる」ということは、「神に対して畏敬の念を抱く」ということです。では、「神を恐れる」ということは、具体的にどのようなことなのでしょう。
22.11.6.
聖書の中で、繰り返し命じられていることの一つは「神を恐れよ」です。「神を恐れる」とは、どういうことなのでしょう。