羊飼いたちへのキリスト誕生の知らせ
ルカ2:8-20
22.12.25.
キリストが生まれた夜、「ベツレヘム」の野原では、「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」(8)いました。すると突然「羊飼いたち」の前に、御使いが現れて、キリストの誕生を告げました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:11-12)
「羊飼いたち」は、当時、社会の底辺にいた貧しい人たちでした。また、「羊飼いたち」は、罪人と呼ばれ、人々から見下されていました。なぜなら、「羊飼いたち」は、羊を飼っていたため、安息日を守るなど、様々な律法を守ることが出来なかったからです。「羊飼いたち」は、安息日でも、羊たちに餌や水を与えたり、病気や怪我をした時は手当をしたり、迷い出た羊を探し回らなければなりませんでした。「羊飼いたち」は信用されず、裁判の証言も許されず、社会的に差別されていました。
しかし、キリストの誕生が最初に知らされたのは、王や宗教的指導者やお金持ちなどの社会的に影響力のある身分の高い者たちではなく、身分が低く、見下され、信用されない「羊飼いたち」でした。なぜ、神は、このような「羊飼いたち」を選ばれたのでしょうか。なぜ、もっと社会的に影響力のある人たち、政治家や宗教的指導者、有名な人、お金持ちに伝えられなかったのでしょう。
1.キリストは罪人を救うために来たことを示すため
キリストの誕生が最初に「羊飼いたち」に知らされたのは、キリストが「罪人」を救うために来られたことを示すためだったのです。「羊飼いたち」は、私たち「罪人」の代表だったのです。キリストは、「羊飼いたち」のような私たち「罪人」を救うために来られたのです。イエスは、次のように言いました。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタ9:13) 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10) 「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハ10:10) 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られ」(Ⅰテモ1:15)ました。
Ⅰコリ1:27-29には、「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです」とあります。神は、「知恵ある者」ではなく「愚かな者」を選び、「強い者」ではなく「弱い者」を選び、「権力者」ではなく「取るに足りない者」を選び、「身分の高い者」ではなく、「見下されている者」を選ばれました。このような者たちを救うために、イエス・キリストは来られたのです。
羊飼いたちに真っ先にキリストの誕生が知らされたのは、キリストが来たのが、私たち罪人を救うためであることを示すためだったのです。
2.素直に信じ応答する単純な信仰を持っていたから
キリストが「飼い葉おけに寝ておられる」という知らせは、ユダヤ人たちには、考えられないこと、信じられないことでした。ユダヤ人たちは、キリストについて、偉大な王というイメージを抱いていたからです。しかし、「羊飼いたち」は、自分たちが聞いた知らせを疑ったり、否定しませんでした。「羊飼いたち」は、その知らせを素直に信じ、「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう」(15)と言って、すぐに応答し、ベツレヘムに「急いで行っ」(16)たのです。「出来事」はギリシヤ語で「レーマ」と言い、「神から直接語られた言葉」を意味します。「羊飼いたち」は、御使いからの知らせを、神からのメッセージとして受け止めたのです。そして、「羊飼いたち」は、「布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりご」を見つけるため、ベツレヘムにある一軒一軒の家畜小屋を捜し回ったのではないでしょうか。そして、ついに「…飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当て」たのです。それは、「羊飼いたち」の素直で単純な信仰から来たものでした。
神が私たちに求めておられるものは、信仰です。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」(ヘブ11:6)そして、神を信じ、神に従う時に、神はその信仰に答えて下さり、御業と栄光を現して下さるのです。イエスは「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」(ヨハ11:40)と言われました。
キリスト誕生の知らせは「すばらしい喜び」(10)の知らせです。「羊飼いたち」は、御使いからのメッセージを素直にそのまま信じ、受け入れました。そして、「羊飼いたち」は、すぐにそのメッセージに応答しました。「羊飼いたち」は、キリストを捜し当てることが出来た時、喜びに満たされました。それは、ユダヤ人たちが昔から待ち望んで来た救い主を、自分の目で見、出会うことが出来たからです。それで「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20)のです。
キリストは、私たち罪人を救うためにお生まれになりました。私たちも、「羊飼いたち」のように、キリストの元に行きましょう。キリストを救い主として信じ、私たちの心と人生に迎え入れましょう。そして、「神をあがめ、賛美しながら」歩む人生を送らせていただきましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師