神が私たちに望まれること
Ⅰテサロニケ5:16-18
2024.12.29
1.いつも喜んでいなさい
パウロは手紙でこのように書いていますが、パウロ自身はどうだったのでしょうか?(使徒の働き16:19-34)パウロとシラスはピリピで伝道した結果、牢獄に入れられてしまいました。牢獄においてパウロは決して喜べる状況ではありませんでした。でもパウロたちは祈り、賛美し、喜び、感謝したのです。彼らは喜ぶことを選び取ったのです。
私たちの環境も時には、牢獄のように感じることがあるかもしれません。でも私たちはパウロと同じように、喜ぶことができるはずです。この喜びは、あらゆる環境に支配されることのない、キリストの福音に基づく喜びです。
パウロはピリピ教会に手紙を書きました。いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4) 喜びがある所に神は働かれます。牢獄の中でもパウロとシラスは喜び、賛美しました(使徒16:25)。すると大地震が起こり、鎖が解けました(26節)。看守が救われ、看守の家族が救われました(34節)。そのようにしてピリピ教会が誕生したのです。喜ぶというのは、選択です。決断です。自分で選び取るものです。
2.絶えず祈りなさい
祈りも同じです。選択です。絶えず祈ることを神は私たちに願っています。私たちが祈らないことを選び取る理由はたくさんあります。忙しいから、眠いから、祈る気分ではないから。でも大事なのは祈ることを選び取ることです。結局、祈らないということは、神ではなく、自分自身を信頼しているということです。
パウロとシラスは心を合わせて祈りました。2,3人が心を合わせた祈りには力があります(マタイ18:19,20)。この2人の祈りが鎖を打ち砕きました。祈りを通して、神の力が解き放たれます。もし人生に神の奇跡を体験したいなら、祈りを習得しなければなりません。
3.すべてのことについて感謝しなさい
自分にとって良いことだけを感謝するのは誰にでもできます。簡単です。難しくありません。でも聖書は、良いことだけでなく、悪く見えることについても感謝しなさいと命じています。すべてのことについて感謝しなさいです。これも選び取ることです。
起こっている出来事について不平不満を言うこともできます。あるいは感謝することもできます。結局は、私たちの神に対する信頼の問題だと思います。全ての出来事が神の御手の中にあることを確信しているなら、私たちは感謝することができるはずです。
「喜べない、祈れない、感謝できない」ではなく、「喜ぶ、祈る、感謝する」にこの年末、切り替えていきましょう。感謝の心を持って一年を終えましょう。
Filed under: 和田一喜牧師