復活を通して与えられる3つの希望
マタイ28:1-10
24.3.31.
イエスは、私たちの罪を身代わりに負い、十字架にかかり死んで、墓に葬られました。しかし、三日目に、イエスは、死の力を打ち破り、よみがえったのです。このイエスの復活は、私たちにどのような希望を与えるのでしょうか。
1.絶望をもたらす罪と死
聖書は「すべての人は、罪を犯した」(ロマ3:23)と言っています。また聖書は「罪とは律法に逆らうことなのです」(Ⅰヨハ3:4)と言っています。すなわち、聖書が教えている罪とは、単なる犯罪ではなく、神の言葉に従わないことです。それは、神から的を外し、神中心ではなく、自分中心に生きることです。「罪から来る報酬は死です。」(ロマ6:23)罪の結果として、死がもたらされました。罪の結果もたらされた死とは、次の3つの状態のことです。
① 霊的な死
罪によって、神との関係は絶たれ、神と分離してしまうことです。Cf.イザ53:6、59:1-2。そのため、神が分からなくなり、生きる目的も意味も分からなくなってしまいます。
② 肉体的な死
霊的な死の結果として、肉体的な死がもたらされました。肉体的な死は、私たちの霊魂が肉体から分離してしまうことです(伝12:7)。
③ 永遠の死
人間は死んだ後、神の前で裁きを受けなければなりません(ヘブ9:27)。そして、罪ある者は、永遠の滅びに入れられるのです(IIテサ1:9)。Cf.黙20:11-15。
2.希望をもたらすイエスの復活
① 永遠のいのちの希望
罪のない聖い神の御子イエス・キリストは、私たちの罪を身代わりに負って下さり、私たちの身代わりに裁かれて、十字架にかかり死んで下さいました(Ⅰペテ2:22,24)。そして、このイエス・キリストが私たちの罪のために身代わりとなって、十字架で死んで下さったと信じるなら、「罪の赦しが受」のです(使10:43)。さらに、イエスを信じて罪を赦された者には、「永遠のいのち」が与えられます(ヨハ3:36)。しかし、もしイエスが復活されなかったのなら、イエスはただの人間だったのであり、イエスの十字架の死は、単なる人間の死でしかなかったということです。もしそうなら、イエスを信じても、罪の赦しも救いもないのです(Ⅰコリ15:17-19)。
「しかし、今やキリストは…死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリ15:20) そして、復活によって、イエスが確かに「神の御子」であることが示されました(ロマ1:4)。ですから、イエスの十字架の死は、確かに私たちの罪の身代わりの死であったのです。そして、このイエスを信じる者は「罪の赦し」と「永遠のいのち」が与えられるのです。「永遠のいのち」とは、単に死んだ後に与えられるものではありません。イエスを信じた時から与えられるもので、神と共に永遠に生きることです。
② 復活の希望
聖書は、イエスの復活が、私たちの復活の「初穂」であったと教えています(Ⅰコリ15:20)。「初穂」とは、収穫された作物の最初のもの、最初に収穫された作物です。ですから、イエスが「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられ」たということは、イエスが死からよみがえる者たちの中で、最初によみがえられた者であるという意味です。イエスを信じた者は、イエスがよみがえられたように、肉体をもってよみがえるのです。
私たちの復活は、イエスがこの世界に再び帰って来られる「再臨」の時になされます。復活後、天に上げられたイエスは、再びこの世界に帰って来られるのです(使1:11)。イエスの再臨の時、既に死んでいるクリスチャンが先によみがえります。そして、地上に生きているクリスチャンも一瞬の内に天に上げられます(Ⅰテサ4:16-17)。その時、私たちは復活されたイエスの体のような完全な体に復活します(Ⅰコリ15:42-44,52)。弱さや、欠陥や、病気のない栄光の体によみがえらされます。
新しい体によみがえらされるのは、将来実現する神の国を受け継ぐためです(Ⅰコリ15:50)。しかし、私たちの救いのゴールは、単に死んだ後に天国に行くことではありません。この天地が滅びた後、新しい天と地において実現する永遠の神の国(御国)です。永遠の御国で永遠に生きるためには、それに耐えられる完全な体が必要なのです。
③ 生きる希望
イエスを信じていても、同じように問題や困難に直面することがあります。しかし、信仰によって、問題に勝利することが出来るのです。問題を無くすためではなく、問題に勝利する信仰なのです。Cf. ヨハ16:33。Ⅰヨハ5:4-5。死に打ち勝ったイエスは、私たちといつも共にいて下さるのです(マタ28:20)。イエスは天に上られ、父なる神の右で、私たちのために執り成しておられます(ロマ8:34)。そして、私たちに「もうひとりの助け主」(ヨハ14:16)なる聖霊を遣わして下さいました。聖霊は、三位一体なる神の第三位格なるお方であり、イエスと同じ一つの神です。ですから、聖霊が共におられるということは、イエスが共におられることと同じです。
2千年前、地上で偉大な奇跡をなされたイエスは、今日も私たちと共におられ、私たちを救い、癒し、解放し、必要を満たし、力を与え、御業をなさいます。Cf.ヘブ13:8。死に打ち勝って、よみがえられたイエスは、今も生きておられ、共にいて下さり、どのような状況の中でも、勝利を与えて下さいます。Cf.ロマ8:37。復活のイエスは、私たちに人生の希望、生きる希望を与えて下さいました。Cf.Ⅰペテ1:3。どのような試練の中にあっても、私たちには希望があります。なぜなら、死に打ち勝ち、今も生きておられるイエスが私たちと共におられるからです。
弟子たちは、よみがえられたイエスにお会いし、喜びに満たされました。復活によって、イエスが「神の御子」であることが示されました。イエスを信じる者は「罪の赦し」と「永遠のいのち」が与えられるのです。また、再臨の時、私たちは復活されたイエスの体のような完全な体によみがえらされます。死に打ち勝たれたイエスは共にいて下さり、どのような時も勝利を与えて下さいます。「よみがえり」、「いのち」であるイエスを信じ(ヨハ11:25-26)、イエスと共に希望にあふれた人生を歩ませていただきましょう。Cf.Ⅱテモ2:8。
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