天から降ったマナ

出エジプト16:11-31

240804

お金を求めてあくせくと働くことが神の御心なのでしょうか。イスラエルの人々が荒野にいたとき、イスラエルの神が不思議なパンで彼らを養ってくださいました。このことから神の御心を学びましょう。

1.人の役割はマナを集める(働く)こと

イスラエルの人々は、エジプトで奴隷生活から救われ、エジプトを脱出し、荒野へと導かれました。そこで神は天から不思議なパン「マナ」を降らせ、イスラエルの人々に与えてくださいました。そして、人々は自分たちの食べる量に応じてマナを集めました(出エジプト16:16-18)。マナが実際にどのようなものであるかはわかっていませんが、毎朝外に降り積もった白いもので、甘いせんべいのような味だったようです(出エジプト16:31)。

このマナは食べ物であり、神は私たちに食べ物を与えられたということです。現代においては、神が私たちに生活資金を与えてくだると理解できます。神は私たちに生活資金というマナを与え、養ってくださいます。しかし、そのマナを集めるのは、私たち人間の役割です。神は人類に地を管理すること(創世記1:28)、畑を耕すことを命じられました(創世記2:15)。それぞれの役割を果たしていくことが神の御心なのです(Ⅰテサロニケ4:11-12出エジプト20:9)。

2.マナを降らせた神に感謝する

イスラエルの人々はマナを集め、それを食べて生きることができました。彼らは神に養われていたのです。自分の力で食べ物を得ていたのではありません。

私たちは健康が与えられ、仕事が与えられ、仕事に取り組む時間が与えられ、収入が与えられ、食べていくことができます。決して自分の力でしているのではありません。

富みを築き上げることができたとしても、その能力も神から与えられたものであり、自分の力ではありません(申命記8:16-18)。私たちを養ってくださっているのは神です。神に感謝しましょう。

私たちは神に感謝し、収穫の初穂(箴言3:9-10)で、什一献金やその他の献げ物(マラキ3:8-12)をもって感謝を表しましょう(箴言3:9-10)。神に感謝する者は、さらに神の祝福が注がれるのです(マラキ3:11-12)。

ただし、神はあえて生活苦を与え、人を試されることがあります(申命記8:2-316)。

そんなときも、私たちは神に信頼し、神を第一として歩みましょう(マタイ6:33箴言17:128:6)。

3.安息日を主にささげる

イスラエルの人々は、安息日の前日に、2日分のマナを集めました(出エジプト16:2225-30)。安息日にはマナを集めにでかけてもマナはありませんでした。彼らは安息日には仕事をせず、休息したのです(出エジプト16:29-3020:8-1134:21申命記5:12-15

経済活動も大切ですが、それだけが人生ではないのです。むしろ、神を第一に求めることが大切なのです。金銭を追い求めて神から離れないよう気を付けましょう(Ⅰテモテ6:10ヘブル13:5)。

安息日は「聖なる日」です(出エジプト20:8、11)。安息日はただ休む日ではなく、神に献げる日なのです(出エジプト16:23a)。旧約時代は土曜日が安息日でした。しかし、イエスが日曜日に復活されたことを記念し、新約の時代は日曜日が主日です。イエスは日曜日ごとに弟子たちの集まりに現れました。私たちも日曜日ごとに集まります。主はその中にいてくださるのです(マタイ18:20)。

私たちは日曜日を神の日として聖めましょう。聖めるとは、「分離する」という意味です。仕事をしたり、この世のことをする日ではなく、神にこの日をささげましょう。そして安息日の主はイエスであり(マタイ12:8)。イエスの御名によって集まり、主を礼拝しましょう。そういう人はますます祝福されるのです(イザヤ56:4-758:13-14)。

まとめ

神は私たちのために、マナである収入を与えてくださいます。それを集めるのは私たちの仕事です。しかし、第一に求めることは神の国とその義です。私たちは仕事をして収入を得ますが、神の恵みによって収入を得させていただいているのです。神に感謝し、収入の中から主にささげていきましょう。またイエスの御名によって集まり、主を礼拝しましょう。

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