ヨナタンに愛されたダビデ

Ⅰサムエル18章

23.10.29.

18章には、ダビデを心から愛するヨナタンとダビデを心から憎むサウル王の姿が描かれている。この二人を対比することによって、真実な愛がどのような愛なのか教えられる。

1.ヨナタンはダビデの成功を心から喜んだ–真実の愛は人の成功を共に喜ぶ

「ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。」(1) ヨナタンは、ダビデの勝利を心から喜んでいた。サウルもはじめダビデを非常に気に入り、「ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。」(2) そして「ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。」(5)

しかし、サウルが率いるイスラエル軍は勝利の凱旋をした時、「女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て」(6)、笑いながら、繰り返して歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」(7) 「サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」」(8) サウルはダビデの成功を喜ぶことは出来なかった。そして、ダビデに対して嫉妬するようになった。

ロマ12:15には「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」とある。悲しむ人と一緒に悲しむということは、それほど難しいことではないが、喜ぶ人と一緒に喜ぶということは、難しく、ねたんでしまうかもしれない。その人の成功を自分の成功のように喜ぶことが出来るなら、それは真実な愛です。Ⅰコリ13:4に、愛は「人をねたみません」とある。ヨナタンは、ダビデの成功をねたむことなく、共に喜んだ。それは、ヨナタンがダビデに対して真実な愛を持っていたからである。

2.ヨナタンは自分の全てをダビデに与えた–真実な愛は全てを与える

「ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。」(4) このヨナタンの行為は、ダビデに自分の王位を引き渡すことを意味した。それは、ヨナタンがダビデに自分の全てを与えてしまったということと同じであった。そしてそれは、ヨナタンがダビデを心から愛していたからである。

一方、サウルは、ダビデを憎み、ダビデの命を奪おうとした。それは、ダビデが国民の支持を利用してサウルに敵対し、サウルの王位を奪うのではないかと、「ダビデを疑いの目で見るようになった」(9)からである。こうして、サウルは、ダビデをねたみ、憎み、ダビデの命を狙うようになった。

ねたみは、殺人と同じような罪と言える。なぜなら、誰かにねたみを抱くと、その人がいなくなればよいと思うようになるから。カインが弟アベルを殺してしまったのも、カインがアベルをねたんだから(創4:1-8)。イエスが十字架にかけられたのも、ユダヤ人の宗教指導者たちのねたみによることだった。

真実な愛は、人の命を奪うものではなく、自分の命を与えるもの。イエスは、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これより大きな愛はだれも持っていません」(ヨハ15:13)と言われた。そして、実際にイエスは十字架の上で、私たちのために命をささげ、私たちに対する愛を現して下さった(Ⅰヨハ4:9-10)。真実な愛は、人から何かを得ようとすることではなく、与えようとする。ヨナタンは、ダビデに対して真実な愛をもっていたので、ダビデに全てを与えた。

3.ヨナタンは自分と同じほどにダビデを愛した–真実な愛は健全な自己像による

ヨナタンのダビデに対する愛は、健全な自己像から来るものだった。「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した」という文が2回出て来る(1,3)。イエスも「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マコ12:31)と言われた。私たちが隣人を愛するためには、自分自身をも愛せなくてはならない。自分を愛するということは、自己中心的になるということではない。自分を愛するということは、健全な自己像を持つということ。それは、神の視点で自分を見るということである。すなわち、主が自分を愛し、赦し、受け入れて下さったように、自分を愛し、赦し、受け入れるのである。神の視点で、自分を愛する健全な自己像を持つ人は、他の人をも愛し、赦し、受け入れられる。

一方、サウルは、結局は自分のことしか愛していなかった。サウルの関心は、どれだけ人々が自分を愛しているのかということだけだった。サウルは、自分自身に対して低い自己像、すなわち劣等感を持っていた。だから、サウルは、人々の自分に対する評価がとても気になった。

他の人を愛するためには、自分がどれだけ主から愛されているか知ることが必要。イエスは言われた。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハ13:34) ヨナタンは、神の視点で自分に対する健全な自己像を持っていた。ですから、ヨナタンは、ダビデをねたむことなく、真実な愛で愛することが出来た。

 

サウルは、主がダビデと共におられ、ダビデがすること全てが成功するのを見て、ますますダビデに対して恐れを抱くようになった(1214-1528-29)。ダビデはますます愛されていった。ヨナタンはその間に立って苦しむが、真実の愛をもってダビデを支えていく。ダビデとヨナタンの友情は、聖書の中で、宝石のように輝く美しい話。愛が冷えていく世の中にあって、真実の愛をもって互いに愛し合うことによって、この世に対して、主の愛を証していこう。ヨハ13:34-35

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