みことばにとどまる弟子

ヨハネ8:31

25.1.5.

イエスは、弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタ28:19)と命じた。イエスは、単に「人々を信者にしなさい」と言ったのではなく、「人々を弟子としなさい」と言ったのである。イエスが求めているのは、単なる信者ではなく、「弟子」であるということ。そしてイエスは、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です」(ヨハ8:31)と言った。イエスの本当の弟子とは、イエスの「ことば」に「とどまる」者であるということ。イエスの「ことば」に「とどまる」とは、イエスの教えに従って生きること。それは、みことばに生きるということ。それは、どのようにしたら出来るのか。

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神が私たちに望まれること

Ⅰテサロニケ5:16-18

2024.12.29 

1.いつも喜んでいなさい 

パウロは手紙でこのように書いていますが、パウロ自身はどうだったのでしょうか?(使徒の働き16:19-34)パウロとシラスはピリピで伝道した結果、牢獄に入れられてしまいました。牢獄においてパウロは決して喜べる状況ではありませんでした。でもパウロたちは祈り、賛美し、喜び、感謝したのです。彼らは喜ぶことを選び取ったのです。

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クリスマスの喜び

マタイの福音書2:1-12

2024.12.15

今日の箇所には2人の王、2種類の礼拝者が出てきます。

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その時が来れば実現します

ルカ1:5-25、57-66

24.12.1.

イエス・キリストの誕生は、マタイとルカの福音書に詳しく書かれている。ルカの福音書では、イエスの誕生の前に、バプテスマのヨハネの誕生が書かれている。御使いガブリエルは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤに息子が与えられることを告げた。この出来事から、祈りについて教えられることが3つある。

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レハブアム王の高ぶりとへりくだり

Ⅱ歴代誌10:1-19, 12:1-8

241124

高ぶりという罪は、誰にでもありえることです。誰でもつい高ぶって失敗することがあります。レハブアム王の高ぶりとへりくだりから学びましょう。

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エサウとヤコブの選択

創世記25:20-34

24.11.3.

人生には、大小様々な選択がある。人生は一度だけ。貴重なもの。人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。今日は、エサウとヤコブの選択から学びたい。

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サラの信仰

創世記18:1-15、21:1-7

241027

聖書にある神の言葉は、常識的に考えてありえないと考えてしまうことが多いのです。そんなとき、どうしたらよいのでしょうか。サラの信仰を学びましょう。

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アブラムとロトの選択

創世記13:1-18

24.10.20.

人生には小大様々な選択がある。そして、人生は一度しかない貴重なもの。だから、この人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。間違った選択をして失敗しないためには、どのように選択をしたら良いのか。

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神に用いられる器

Ⅱ列王4:1-7

24.10.6.

預言者の夫を亡くした妻がエリシャに彼女の子供たちが借金のために奴隷にされようとしていることを訴えた(1)。同様に、今日、人々は罪の奴隷となり、永遠の滅び(地獄)へと向かっている。エリシャは、そのような窮状から救うために彼女に言った。「隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。」(3) 彼女の子供たちが救われるために必要とされたのは「器」だった。今日も、滅び行く人々が救われるために必要とされているのは「器」。神は、人々を救いに導く「器」を求めている。その「器」とは、神の働き人のこと。パウロは、福音を伝えるための神の「選びの器」(使9:15)であると言われた。そして、私たちクリスチャン一人一人も「器」として神に召されている(ロマ9:24)。神は、人々を救いに導くために、どのような「器」を用いるのか。

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主イエスの栄光

マタイの福音書 17:1-8

2024年9月29日

変貌山で主イエスの御姿が変わりました。ここにイエスの栄光を見ることができます。

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