ノアの祭壇
創世8:1-22
22.5.1.
聖書の中で、「主のために」、最初に祭壇を築いたのは、ノアでした。ノアが築いた祭壇は、どのような祭壇だったのでしょう。
1.祭壇を築いたノア
人間は地上に増大していきましたが、人間の罪も増大していきました(創6:5)。「それで主は…心を痛め」(6:6)、人間を大洪水によって滅ぼすことにました。しかし、罪深く堕落した世の中にあっても、「ノアは、主の心にかなって」(6:8)いました。6:9には、「…ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」と書いてあります。そこで、主は、ノアに巨大な「箱舟を造りなさい」(6:14)と命じました。そしてノアとノアの妻、3人の息子たちと彼らの妻たちに入るように言われました(6:18)。また、全ての動物の雄と雌も、2匹ずつ入るようにとも言われました(6:19)。「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」(6:22)のでした。
やがて「大雨は、四十日四十夜、地の上に」降り続き(7:12)、全地は大洪水に襲われました。そして、ノアの家族以外の全ての人間も動物も滅んでしまいました(7:23)。「水は、百五十日間、地の上に増え続けた」が(7:24)、その後「水は引き始め」ました(8:1)。やがて箱舟は、「アララテの山の上に」とどまり(8:4)「山々の頂が現れ」始めました(8:5)。そして、さらに「水は地上からかわきはじめ」(8:13)、大雨が降って大洪水になってから1年と10日後、「地はかわききった」のでした(8:14)。しかし、ノアは、自分勝手に箱舟から飛び出したりせず、箱舟の中に留まりました。
すると、主は、ノアに家族と共に「箱舟から出なさい」(8:16)と命じられました。主の言葉に従い、ノアとノアの家族たちは、箱舟から「外に出」ました(8:18)。また、箱舟にいたすべての動物たちも、「箱舟から出て来」ました(8:19)。ノアたちは、約1年間、箱舟の中にいましたが、ついに箱舟の外に出て、大地の上に立つことが出来たのです。その時、「ノアは、主のために祭壇を築き、…祭壇の上で全焼のいけにえをささげ」たのです。
2.礼拝の祭壇 : 主を第一とする
箱舟から出たノアたちには、住むための家、飲み水、食糧などの必要がありました。しかし、ノアが箱舟から出て最初にしたことは、家を建てることでも、井戸を掘ることでも、畑を造ることでもありませんでした。「主のために祭壇を築き、…全焼のいけにえをささげ」ることでした。
「主のために祭壇を築く」とは、主に祈りをささげ、主を礼拝するということです。また、「全焼のいけにえ」とは、いけにえの動物を焼き尽くすことで、神に自分の全てをささげることを表し、それは神を礼拝するということでした。ですから、「主のために祭壇を築き、…全焼のいけにえをささげ」たということは、主に全てをささげ、主を礼拝したということです。ノアは、大洪水から自分と家族が守られたことを心から主に感謝し、主に感謝の祈りをささげ、自分も自分の家族も人生も全てを主にささげ礼拝したのです。つまり、箱舟から外に出たノアがまず初めにしたことは、主を礼拝することだったのです。確かに、箱舟から外に出たノアたちには、家も畑も井戸も必要でしたが、そのような中でも、彼らは、主を礼拝することを優先し、第一としたのです。
このことは、私たちが人生において、日々の生活において、何を第一にするべきかということを教えています。それは主を礼拝することです。主を礼拝することから全てのことを始めるのです。これは、全てにおいて主を第一にするということです。そして、主を礼拝するということは、主を主として、神として認めるということです。ノアは、大洪水後の荒れ果てた何もない大地に立ち、主こそ神であり、主であることを認めて、全てを主に委ね、主を礼拝したのです。ノアが築いた祭壇は、主を礼拝する祭壇、何よりも主を第一とする信仰の姿勢でした。
3.贖いの祭壇 : 人々の救いのためにとりなす
8:21。「なだめのかおり」とは、「全焼のいけにえ」から立ち上る煙のことです。「なだめ」とは、怒りを和らげ、静めることです。「なだめのかおり」とは、人間の罪に対する神の怒りを和らげ、静める「かおり」です。「全焼のいけにえ」とは、人間の罪を贖うためにささげられるいけにえでした(レビ4章)。すなわち、人間の罪をそのいけにえの動物の上に身代わりに置き、そのいけにえの動物を殺し、丸焼きにして、主にささげるいけにえでした。ノアは、自分と全ての人間の罪の贖いのため、「全焼のいけにえ」をささげたのです。
そして、主は、ノアの「全焼のいけにえ」と祈りを受け入れて下さったのです。だから主は「決して再び、…すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい」と語られたのです。ノアは「すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを取って、祭壇の上で全焼のいけにえ」としてささげました(8:20)。「きよい」とは、汚れや傷がないという意味で、罪がないことを示します。すなわち、「祭壇の上で全焼のいけにえ」としてささげられた「きよい家畜と…きよい鳥」は、十字架にかかられた罪のない神の小羊なるイエス・キリストを示すものでした。キリストは、人間の罪の贖いのために十字架にかかり、命をささげて下さいました。そして、父なる神は、このイエス・キリストをご覧になり、「決して再び、…滅ぼすことはすまい」と約束して下さったのです。
ノアが築いた祭壇は、人間の罪の贖いのための祭壇、人間のためのとりなしの祭壇でした。人間のためにとりなすために、「ノアは、…祭壇を築き…全焼のいけにえをささげた」のです。今日、私たちも、主の前に祈りの祭壇を築き、人々の救いのために、とりなして祈らなければならないのです。主は、とりなす者を求めておられます。Cf.エゼ22:30。イザ59:16。
私たちも、ノアのように、主を礼拝することを第一としましょう。また、主の前に出て、人々の救いのためにとりなし祈りましょう。日々の生活の中に祈りの祭壇を築き、主を覚え、礼拝し、ととりなし祈りましょう。
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