サウルから逃れたダビデ
Ⅰサムエル19章
23.11.5.
19章で、サウルは益々ダビデの命を狙うようになり、ダビデの逃亡生活が始まる。しかし、主は、ダビデを決して見離さず、ダビデを助け守られた。ダビデはどのようにサウルから守られたのか。
1.ダビデは執り成す者ヨナタンによって
サウルはダビデをペリシテ人との戦いに送り、ダビデが戦死するように仕向けた(18:17)。しかし、主がダビデと共におられたので、ダビデは常にペリシテ人に勝利した(18:30)。サウルは、ダビデを王位を脅かす存在として恐れ、ダビデに殺意を抱くようになった。ついに「サウルは、ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた。」(1) しかし、「サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。」(1)
ヨナタンはダビデを助けたいと思い「父サウルにダビデの良いことを話し」た(4-5)。サウルは、ヨナタンの父親であったが、イスラエルの王だった。ダビデを憎み殺そうとしていたサウルに、ダビデの無実を訴えることは、命懸けだった。しかし、ヨナタンは、恐れることなく、ダビデのために執り成した。
その結果、「サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。」そして、「あれは殺されることはない」(6)と約束した。こうして、「ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて行ったので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった。」(7) ヨナタンは、サウルとダビデの間に和解と平和をもたらした。ダビデは、ヨナタンの執り成しによって、サウルから守られた。
2.ダビデは助ける者ミカルによって
「ときに、わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家に座っており、その手には槍をもっていた。ダビデは琴を手にしていた。」(9) サウルが主に不従順の罪を犯してから、サウルから主の霊が去って行き、悪い霊がサウルを悩ますようになった(16:14)。しかしダビデが琴を奏でると「サウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼ら離れた。」(16:23)
この時もダビデは琴を奏でていたが、「わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。」(9)そして、サウルは「槍でダビデを壁に突き刺そうとした。」(10) しかし、「ダビデはサウルから身を避けた…。ダビデは逃げ、その夜は難をのがれた。」(10) 「サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝になって彼を殺そうとした。」(11) しかし、サウルの娘でダビデの妻になったミカルは、ダビデの命を救うために、「ダビデを窓から降ろしたので、彼は逃げて行き、難をのがれた。」(12)
サウルがダビデを捕らえようと使者たちを遣わしたとき、ミカルは、「あの人は病気です」と言った。」(13-14) 「使者たちが入って見ると、なんと、テラフィムが寝床にあり、やぎの毛で編んだものが枕のところにあった。」(16) こうして、ミカルは、うまくダビデを逃れさせ守った。
3.ダビデは隠れ場ナヨテによって
「ダビデは逃げ、のがれて、ラマのサムエルのところに行き、サウルが自分にしたこといっさいをサムエルに話した。そしてサムエルと、ナヨテに行って住んだ。」(18) 「ナヨテ」には「預言者の一団」が住んでいて、サムエルが指導する「預言者学校」があった。主に仕える者たちのいる「ナヨテ」は、ダビデにとって、安心出来る隠れ場だった。
しかし、サウルは、ダビデがナヨテにいることを知って、「ダビデを捕えようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。」(20) 結局、サウルの使者たちは、ダビデを捕えることが出来なかった。「サウルにこのことが知らされたとき、彼はほかの使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。サウルはさらに三度目の使者たちを送ったが、彼らもまた、預言した。」(21) 三度も同じことが起こるので、「そこでサウル自身もまたラマへ行った。」(22) 「サウルはそこからラマのナヨテへ出て行ったが、彼にも神の霊が臨み、彼は預言しながら歩いて、ラマのナヨテに着いた。」(23) 「彼もまた着物を脱いで、サムエルの前で預言し、一昼夜の間、裸のまま倒れていた。」(24) 結局、サウルは、主の霊に捕えられ、ダビデを捕えることが出来なくなった。主の霊が、サウルと使者たちを阻み、彼らがダビデに近付かないようにした。
主は、ダビデをサウルから守るために、様々な助けを与えて下さった。サウルに執り成したヨナタン、サウルから逃れるのを助けたミカル、サウルが近づかないように守られたナヨテにおける主の臨在。こうして、ダビデは、決してサウルに捕まることなく、難を逃れることが出来た。同じように、主は私たちのために執り成し、脱出の道を備え、隠れ場となり守って下さる。
ダビデがサウルに追われているこの時のことが記されている詩篇が詩篇59篇。1~4節には、「わが神。私を敵から救い出してください」(1)と主に助けを求める切実な祈りが記されている。そして、9、10節には、主に対する信頼の告白が記されている。「私の力、あなたを私は、見守ります。神は私のとりでです。私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私の敵の敗北を見させてくださる。」最後の16,17節には、主に対する喜びの賛美が記されている。「しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。」 ダビデのように、主に助けを祈り求め、主の守りを信じ、主を喜びたたえよう。
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