ギデオンの戦略
士師7:15-23
22.3.6.
主は、イスラエルをミデヤン人から救うために、ギデオンを召されました。この時、ミデヤン連合軍は13万5千人(8:10)、イスラエル軍は3万2千人(7:3)でした。イスラエルの人数は全然足りず、更に多くの兵士が必要でした。しかし、主はギデオンに「あなたといっしょにいる民は多すぎる」(7:2)と言われました。主は、この戦いの勝利を通して、ご自分が真の神であることを示そうとされたのです。だから、この戦いが主によって勝利したことが明らかになるために、イスラエル軍の人数を減らさなければなりませんでした。ギデオンは、どのようにしてミデヤン連合軍と戦ったのでしょう。
1. 300人の勇士によって
① 戦いを恐れない者
主は、ギデオンに「今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい」(7:3)と言われました。軍隊の中に、「恐れ、おののく者」がいたら、戦いに勝利することが出来ないからです。すると「民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った」だけでした(7:3)。結局、「恐れ、おののく者」とは、主を信じることが出来なかった人たちだったのです。主が共におられ、戦って下さり、勝利を与えて下さるという信仰がありませんでした。主が用いられる人は、恐れない者、すなわち主を信じる者です。
② 戦う備えのある人
主は、更にギデオンに「民はまだ多すぎる」(7:4)と語られました。そして、主は「水のところ」(7:4)で、「犬がなめるように、舌で水をなめる者」(7:5)ではなく、「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す」(7:7)と言われました。「犬がなめるように、舌で水をなめる者」は、喉の渇きを満たすことだけに夢中になって、戦いのことを全く忘れていました。恐らく、彼らは武器も投げ出してしまい、敵に対して不用意になっていたことでしょう。しかし、「口に手を当てて水をなめた者」たちは、喉が渇いていても、水を飲むことだけに夢中にならず、周りの状況に気を配り、いつでも戦いための準備が出来ている人たちだったのです。彼らは片方の手に武器を持ったまま、もう一方の手で水を飲んだのでしょう。彼らは自分の欲望を自制し、いつでも戦える備えが出来ていました。
主が用いられる人は、自分の欲望を満たすことや、この世のものに没頭せず、常に主の戦いのために準備が出来ている人です。
2.一致によって
ギデオンは、「三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせ」ました(7:16)。イスラエル軍を三つに分けたのは、大人数に見せるためと、効率よく戦うためでしょう。また、「からつぼ」は、敵に近づくまで「たいまつ」を隠すため、それを打ち壊した時に大きな音を出すためでした。そして、ギデオンは兵士たちに「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない」、「私がするように、あなたがたもそうしなければならない」(7:17)、「角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、『主のためだ。ギデオンのためだ』と言わなければならない」(7:18)と言いました。「三百人」の兵士たちは、ギデオンと一緒に行動しなければなりませんでした。すなわち、この戦いにおいては、一致が要求されたのです。
① 一致は主の御心である
イエスは、一致の重要性について、「もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません」(マコ3:24-25)と語られました。教会も、不一致によって、弱くなり、力を失ってしまいます。教会が力強い勝利の教会となるためには、一致が必要なのです。イエスは、弟子たちが一つとなるように祈られました(ヨハ17:11,21-23)。ですから、もし一致しないのなら、主の御心に反し、主を悲しませているのです。パウロは、「分裂、分派」は「肉の行い」だと言っています(ガラ5:19-20)。もし、私たちの間で「ねたみや争い」があるなら、「肉に属している」のであって、「ただの人のように」なってしまっているのだとも言っています(Ⅰコリ3:3、Cf.3:4)。
② 一致のために一つのビジョンと目的に焦点を合わせる
一致は、自然に発生するものではなく、意志と努力が必要なのです(エペ4:3)。「一致を熱心に保ちなさい」はNIVでは「Make every effort to keep the unity」です。すなわち、「一致を保つためにあらゆる努力をしなさい」です。私たちは一致するために、自分の意志を傾け、努力しなければならないのです。一致するために、一つのビジョン、目的に焦点を合わせなければなりません(ピリ2:2)。また、私たちが注目すべきことは、それぞれの考え方、やり方ではなく、御言葉です。
③ 一致のある所に主の臨在と祝福と勝利がある
私たちが一つになる時、そこに主ご自身も来て下さり、臨まれます。イエスは、ご自分の名によって集まる所に共におられると約束されました(マタ18:20)。復活したイエスは、弟子たちが一緒に集まっているところに現れました(ヨハ20:19,26)。また、私たちが一つとなる所に、主の豊かな祝福が注がれます(詩133:1-3)。また、主は、一つとなる所に共に働いて下さり、ご自身の栄光を現して下さいます。イスラエルが一致した時、主の御業が現わされました。Cf.ヨシ6章。Ⅱ歴20:21-22。
「真夜中」(7:19)の人々が寝静まった時、攻撃は開始されました(7:20-21)。ミデヤン連合軍は、突然、大きな音を聞き、多くの光を見、「主のためだ。ギデオンのためだ」、「主の剣、ギデオンの剣だ」という叫び声を聞き、何万もの軍隊が攻撃して来たと思い込んで、非常に恐れ、混乱してしまいました。そして「主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた」(7:22)のです。こうして、イスラエルは、少人数であったにも関わらず、敵の大軍に勝利しました。私たちもギデオンの「三百人」の勇士たちのように、主に用いて頂きましょう。
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