イエスの祈り

ヨハネ17:1-26

230924

KYという言葉を知っていますか。「空気」のKと「読めない」のYで、「空気読めない人」のことを言います。空気を読むためには、人の気持ちを考えることが大切ですね。

ところで、私たちは、主の御心をきちんと読んでいるでしょうか。「御心、読めない」MYになっていないでしょうか。どのようにしたら主の御心を知り、それに応えることができるのでしょうか。

1.この世の人のように生きるのでなく、神のものとして生きる

イエスは十字架にかかられる前に、切なる願いを祈られました(ヨハネ17:1-26)。その切なる願いとは、弟子たち、および、弟子たちの言葉によって主を信じる人々、すなわちクリスチャンのためでした(ヨハネ17:20)。

イエスは祈りの中で、クリスチャンたちがこの世から聖め別たれるようにと祈られました(ヨハネ17:16-171915:19)。これは町から離れて山奥で暮らすとか、天国に行くという意味ではありません。なぜなら主が私たちをこの世に遣わしたからです(ヨハネ17:18)。「聖められる」、「聖め別たれる」というのは、神のものとなるという意味があります。ですから、私たちが、神のものとして生きること、そして、この世の悪い者から守られるということです(ヨハネ17:14-15)。私たちがこの世の誘惑に陥らないようにと主が願っておられるのです。

たとえば、生きる目的がお金のためだったり、自分の欲望を満たすことだったりしてはいけません。この世の楽しみを求める生き方は御心ではありません。神のしもべとして、誠実に歩むことを主が願っておられるのです。

このイエスの祈りに応えるのは、父なる神でしょうか。それもあるでしょう。しかし、私たちが御心のように歩むなら、イエスの願いをかなえることになるのです。

2.神のものとして生きるために、真理を知る

イエスは真理によって私たちを聖め別つようにと願い求めました(ヨハネ17:17)。この世から聖め別たれるために必要なのは真理です。真理とは主の御言葉です(ヨハネ17:31719)。私たちが真理を知るとき、本当の自由と解放を得られるのです(ヨハネ8:31-32)。

私たちが神のものとして生きるために、御言葉を深く学ぶことが必要です。御言葉の学びと実践を通して、私たちは日々聖め別たれていくのです(ローマ8:30)。真理を学ぶために、聖書を学びましょう。聖書から神を知り、イエスを知るのです。これは一日でできることではないので、毎日御言葉をよく読み考えることが必要です。

教会では主を賛美するだけでなく、メッセージがあり、御言葉の学びができるのです。礼拝や祈り会で御言葉を聞き、よく思い巡らして、神が自分に語っておられることを悟ることが大切です。

御言葉はただ聞くだけではいけません(エゼキエル33:30-33)。御言葉を聞いて行う者となりましょう。こうして御言葉を人生の土台に据えましょう(マタイ7:24-27)。

3.主は私たちが一つとなることを願い祈られた

イエスは、私たちが一つとなることを願い祈られました(ヨハネ17:1122-23)。これは、私たちが互いに愛し合うということです(ヨハネ13:3415:12-13)。これは主の命令でもあります(ヨハネ13:34)。主は切なる願いをもって、私たちが互いに愛し合い、一つとなることを祈っておられるのです。

私たちが一つとなることは、単に私たちが仲良しになり、楽しむためではありません。私たちが神のものであることをこの世が知るためです(ヨハネ17:2313:35)。愛によって一つになることが人々に対する良い証しとなるのです。

私たちは、自分の願いを神に祈り求めるとき、神が応えて下さることを期待します。実は、神も私たちがイエスの祈りに応えることを期待しておられるのです。

イエスの祈りと願いを実現させるのは父なる神でしょうか。それもあるでしょう。しかし、私たちはイエスの祈りに応えることを主は願っておられるのです。

幼い子供は親の心がわかりません。しかし、成長すると、親の気持ちがわかるようになります。

主に喜ばれる成長したクリスチャンとして歩んでまいりましょう。

まとめ:

イエスは、私たちが真理を知り、この世から聖められるように、そして、愛し合って一つとなるようにと願い、祈られました。イエスの願いと祈りを実現するのは父なる神です。しかし、私たちもこのイエスのお気持ちに応える者になりましょう。

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