イエスにとどまり実を結ぶ(1)

ヨハネ15:4-8

22.9.4.

イエスは、ご自分と私たちの関係を「ぶどうの木と枝」の例え話をもって説明されました。「イエスにとどまる」、「実を結ぶ」とはどういうことでしょう。

1.主は良い実を結ぶことを望んでおられる

イザ5:1-7にも、ぶどう園の譬えが記されています。この中で、イスラエルは神が植えた「ぶどう畑」であると言われています。そして、主はこの「ぶどう畑」に「良いぶどうを植え、…あまいぶどうのなるのを待ち望んで」(2)でいました。「ところが、酸いぶどうができてしまった」(2)のです。主がイスラエルの民に期待したのは、「公正」と「正義」を行うことでしたが、彼らは不公正と不義を行い、人々に「流血」と「泣き叫び」をもたらしたのです(2)。主は心を痛め、「なぜ…酸いぶどうができたのか」(4)と言われました。Cf.エレ2:218:13

私たちもイエス・キリストを信じて、イスラエルと同じ神の民とされました。私たちも主の「ぶどう畑」とされているのです。そして、主は私たちに「あまいぶどうのなるのを待ち望んで」おられます。すなわち、主は私たちが良い実を結ぶことを望んでおられるのです。

2.私たちが結ぶべき実

では、私たちが結ぶべき実とは、どのようなものでしょう。

① 御霊の実 : キリストの品性(ガラ5:22-23

これらの9つの「実」は、キリストの品性です。ですから、私たちが「御霊の実」を結ぶようになるということは、私たちの内側にキリストの品性が形造られるようになるということです。すなわち、キリストに似た者へと変えられていくということです。

② 光の結ぶ実 : 良い行い(コロ1:10)

ここには「善行」すなわち「良い行い」という「実」を結ぶようにと言われています。エペ5:9では、良い行いに励むことを「光の結ぶ実」とも呼んでいます。私たちが救われた目的は、良い行いに励むためです(エペ2:10)。イエスは、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタ5:16)と言われました。

③ 働きの実 : 人々の救い(ヨハ15:16)

イエスは、弟子たちを「選び」、「任命した」のは、彼らが「行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため」(ヨハ15:16)であると言われました。この「残る実」とは、「人々の救い」のことです。Cf.Ⅰコリ9:1コロ1:6。私たちも、福音宣教の「働きの実」である人々の救いのために選ばれ、任命されたのです。

3.イエスとの交わりにとどまる

「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら」(5)とは、私たちが「イエスと一つになっているなら」ということです。ぶどうの木に枝がつながっているということは、もはや単なる枝ではなく、ぶどうの木の一部となること、ぶどうの木と一つになるということです。

① イエスを神の御子と信じる(イエスとの関係にとどまる)

私たちがイエスを神の御子と信じる時、私たちはイエスの内に住み、イエスが私たちの内に住まれます(Ⅰヨハ4:15 )。パウロは、イエスを信じた人のことを「キリストのうちにある」(Ⅱコリ5:17)と言っています。またパウロは、イエスを信じる者の内に聖霊が住まわれると言っています(Ⅰコリ6:19)。「もうひとりの助け主」である「真理の御霊」である聖霊は、イエスと同じ性質、同じ力を持ったお方です(ヨハ14:16-17)。聖霊が私たちと「ともにおられる」いうことは、イエスが「ともにおられる」ということです。私たちがイエスにつながり、一つになるには、まずイエスを信じることが必要です。

② イエスと御霊によって交わる(イエスとの交わりにとどまる)

イエスとの親密な交わりによって、さらにイエスと一つとされていきます(Ⅰコリ6:17)。イエスとの関係は、イエスとの親密な交わりによって、さらに深められ、強められ、私たちはイエスと一つとされていくのです。私たちがイエスにとどまり、イエスが私たちの中にとどまり、私たちがイエスと一つとなるという関係は、イエスと父なる神との関係に見られることでした(ヨハ17:21-22)。そして、イエスは、公生涯で度々祈りによって、父なる神との交わりの時を持たれました。私たちは、聖霊によって、イエスとの交わりを持つことが出来ます。Ⅱコリ13:13。「主イエス・キリストの恵み」と「神の愛」は「聖霊の交わり」によって与えられます。「聖霊」は、私たちを「主イエス・キリスト」と「神」との「交わり」に結び付けるのです。私たちは、聖霊との交わりを持つことによって、イエスと交わることが出来るのです。

 

私たちが「多くの実」を結ぶことによって、神の栄光を現すことが出来ます(ヨハ15:8)。私たちが「多くの実」を結ぶためには、イエスに「とどまる」ことが必要です。枝が木につながっていれば、時が来ると自然に「実」を結ぶように、私たちもイエスにつながっているなら、時が来たなら自然に「実」を結ぶのです。枝だけではどんなに頑張っても「実」を結ぶことが出来ないように、私たちもイエスから離れては、どんなに頑張っても「実」を結ぶことは出来ません。ぶどうの枝がぶどうの木につながり、その命を受けて実を結ばせるように、私たちも、ただイエスにつながるなら、「多くの実」を結ぶことが出来るのです。

イエスを信じて、イエスとの個人的な関係を持ちましょう。聖霊に満たされ、イエスとの親密な交わりを持ちましょう。主と一つとなり、「多くの実」を結び、主の「栄光」を現しましょう。

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