みことばにとどまる弟子
ヨハネ8:31
25.1.5.
イエスは、弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタ28:19)と命じた。イエスは、単に「人々を信者にしなさい」と言ったのではなく、「人々を弟子としなさい」と言ったのである。イエスが求めているのは、単なる信者ではなく、「弟子」であるということ。そしてイエスは、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です」(ヨハ8:31)と言った。イエスの本当の弟子とは、イエスの「ことば」に「とどまる」者であるということ。イエスの「ことば」に「とどまる」とは、イエスの教えに従って生きること。それは、みことばに生きるということ。それは、どのようにしたら出来るのか。
1.毎日みことばを読む
「自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。」(申命17:19) 聖書を読まなければ、神について、御心について、知ることは出来ない。神について、御心について知らなければ、イエスの弟子として、イエスの教えに従って生きることは出来ない。「忙しくて、時間がなくて、聖書が読めない」と言う人がいる。しかし、テレビやインターネットやメールを観る時間はある。「時間がない」というのは言い訳であって、「ない」のは時間ではなく「意志」。聖書を読むことを後回しにしているうちに、本当に読む時間がなくなってしまう。毎日、聖書を読む「時間をつくる」ことが大切。日々、聖書を読む習慣を身につける。通読表やディボーションのテキストを利用することも一つの方法。自分の好きな箇所だけを読むのではなく、聖書全体をバランスよく読むことが大切。私たちが聖書を開く時、主も口を開いて私たちに語りかけて下さる。
2.みことばを心に刻む
「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みない。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」(申6:6-7) Cf.申11:18。「みことばはを心に刻む」とは、みことばを覚える(暗記する)ということ、すなわち「暗唱聖句」。イエスの弟子として、イエスの教えに従って生きるためには、聖書のみことばを暗記して、みことばが私たちの心に刻み付けられなければならない。みことばを暗記するためには、みことばを声に出して何度も読む。詩1:1-2には、「幸いなこと」として、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」ことが書かれている。「口ずさむ」とは、ヘブル語では「反芻する」という言葉とのこと。「反芻する」とは、牛などが一度噛んで呑み込んだ食物を再び口に戻して噛む。「昼も夜もそのおしえを口ずさむ」とは、みことばを何度も繰り返し思い出して唱えること。そのようにして、みことばを暗記し、心に刻み込む。
しかし、「昼も夜もそのおしえを口ずさむ」とは、単に暗記するためだけではない。そのみことばの内容や意味を思い巡らすためでもある。口語訳では「昼も夜もそのおきてを思う」と訳されている。そのみことばの意味は何か。主は何を語り、何を教えようとしているのか、主が願っていることは何か、何が主の御心なのか、考えてみる。そして、みことばを「昼も夜も…口ずさむ」こと、みことばを暗記し、心に刻むことは、主の弟子として、みことばを守り行うため。「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。…」(ヨシ1:8)
3.みことばを実行する
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコ1:22) マタ28:20でも、イエスが弟子たちに命じられたことは、「わたしがあなたがに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」。みことばを毎日読み、みことばを心に刻み込むことは、全てみことばを守り行うため。みことばを守り行わないなら、聖書を読むことも、みことばを暗記し、思いめぐらすことも無意味。主のみことばに従うということが、主の弟子であることのひとつの証。みことばを自分自身と自分の生活に適用する。主は、あなたがどのように変わることを望んでいるのか。主は、あなたに何をするように、またしないように、止めるように語っておられるのか。みことばに従うことが困難であったり、痛みを伴う時がある。また、みことばによって、罪を責められたり、欠点が指摘されることもある。それは、私たちにとって心地よいことではなく、避けたいことかもしれない。みことばをよく読み、知っていて、暗記をしていても、実行しない人がいる。自分が何をするべきか分っているが、色々な理屈を言って、そのみことばに従っていない。あるいは口では「はい」と言いながら、みことばに従うことを先延ばしにしている。みことばを知っていながら、色々な言い訳を言って、実行していないことはないか。みことばに従うことから逃げていたら、何の祝福もない。「…「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」…」(ヘブ4:7)
イエスの「ことばにとどまるなら」、「ほんとうにわたしの弟子です」と言われている。聖書を読む時間を決め、聖書を読む習慣を身につけよう。みことばを何度も繰り返し読んで暗記し、そのみことばを思い巡らそう。みことばを自分自身と自分の生活に適用し、みことばを守り行おう。「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」(ルカ8:15)Cf.ヨハ15:7-8。みことばにとどまる本当の弟子となろう。
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