その時が来れば実現します

ルカ1:5-25、57-66

24.12.1.

イエス・キリストの誕生は、マタイとルカの福音書に詳しく書かれている。ルカの福音書では、イエスの誕生の前に、バプテスマのヨハネの誕生が書かれている。御使いガブリエルは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤに息子が与えられることを告げた。この出来事から、祈りについて教えられることが3つある。

1.私たちの祈りは聞かれている

ザカリヤは「祭司」(5)で、神殿で神を礼拝するための奉仕をしていた。ザカリヤの妻エリサベツも「アロンの子孫」(5)で祭司の家系であった。「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。」(6) 「エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。」(7) ある時、ザカリヤは「くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった」(9)。「ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。」(11) 「これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われた」(12)。御使いは、ザカリヤに驚くべきことを言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。」(13) そして、その子は、神に特別に選ばれた子であり、胎児の時から聖霊に満たされ、やがて人々を主に立ち返らせ、救い主のための道備えをするという(15-17)。

ザカリヤとエリサベツは、共に年老いてたが、子供はいなかった。当時の社会では、子供がいないということは、神の祝福が受けられないということで、恥であると考えられていた。彼らは、結婚した時から、ずっと子供が与えられるように祈ってきたことだろう。そして、ついに子供が与えられないまま、年を取ってしまった。もしかしたら、彼らは「どうして祈りが聞かれなかったのか」と、疑問を抱いたり、不満を言ってしまったこともあったかもしれない。もう子どもが与えられることを諦めてしまっていたかもしれない。それでも彼らは忠実に神に仕えていた。

神は、彼らの祈りをしっかりと聞いておられ、覚えておられた。「ザカリヤ」の名前の意味は、「神に覚えられている人」「神が忘れてはおられない人」。神は、ザカリヤの祈りを聞き、忘れることなく、彼の祈りを覚えておられた。神は、私たちの祈りをもちゃんと聞いておられ、それを覚えておられる。Cf.ヘブ11:6

2.信じない者ではなく信じる者となる

そこで、ザカリヤは御使いに行った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」(18) ザカリヤは、「あなたの願いが聞かれたのです」、「子供が与えられます」と語られても、その言葉を素直にそのまま信じることが出来なかった。ザカリヤは、祭司だったので、聖書の話もよく知っていたはず。聖書の中には、不妊の女が子供を産んだという話がある。例えば、アブラハムは100歳、妻のサラが90歳の時にイサクを生んだ。ザカリヤも、その話を知っていたはず。しかし、ザカリヤにとって、その話は、単なる聖書の中の話であり、昔話であり、今の自分とは無関係なものでしかなかった。ザカリヤの信仰と生活は乖離したものとなってしまっていた。

ザカリヤは、御使いに「私は何によってそれを知ることができましょうか」(18)と尋ねた。これは、「どんな根拠でそんなことを信じられるのですか」ということ。つまり、ザカリヤは「その証拠は何か」と目に見える「しるし」を求めた。目に見える「しるし」を求めるということは、もう信仰ではない。御使いはザカリヤに言った。「ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。」(20) ザカリヤに与えられた「しるし」は、「ものが言えず、話せなく」(20)なるということだった。御使いは、ザカリヤがこれ以上不信仰な告白をしないように、彼の口を封じた。

イエスの弟子トマスは、イエスが復活したということを聞いても信じなかった。トマスは、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」(ヨハ20:25)と言った。その1週間後、イエスはトマスの前に現れて言った。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハ20:27)

3.神の時を忍耐をもって待つ

御使いは、ザカリヤに言った「私のことばは、その時が来れば実現します。」(20) 神は、私たちの祈りに答えて下さるが、祈りの答えの「時間指定」はない。祈りの答えが「いつ」与えられるのかは分からない。なかなか祈りの答えが与えられないと、神に対して疑いや不満が出て来る。「なぜ祈りがすぐに答えられないのか」、「神は本当にいるのだろうか」。

しばしば、私たちは自分の願っている時や方法で神に働くように求めてしまう。しかし、神には、「計画」がある。

・神の「計画」は、私たちの考えを越えた大きな計画。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──主の御告げ──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザ55:8-9)

・神の「計画」は災いをもたらす計画ではなく、将来と希望を与える計画(エレ29:11)。

・神は、最善の時に、最善の方法で答えて下さる。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝3:11)

・神の時は、早過ぎることもなければ、遅過ぎることもない。「…もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」(ハバ2:3)

神には「計画」があり、神の定めておられる「時」がある。私たちの願っている時や方法によってではなく、神の時に、神の方法で答えられる。私たちは、忍耐をもって、ただ神の時を待ち続けなければならない。「エリサベツ」の名前はヘブル語で「エリシェバ」といい、「エリ」は「わが神」、「シェバ」は「誓い」を意味する。すなわち、「エリサベツ」とは、「わが神はわが誓い」という意味。神の誓いは、変わることも消えることもない。

「その時が来れば実現します。」アブラハムがサラにイサクが与えられたのは、約束されたから25年後だった。イサクがリベカにエサウとヤコブが与えられたのは、結婚してから20年後だった。ヤコブの最愛の妻リベカにヨセフが与えられたのもかなり時間が経ってだった。エジプトに売られて奴隷となったヨセフがエジプトの首相となるためには、ヨセフに崇められる人になるという夢が与えられてから14年後のことであった。神が御業を現わして下さる時まで、忍耐をもって待たなければならない。

まとめ&結論

1.私たちの祈りは聞かれている

神が私たちの祈りを聞いて下さり、ちゃんと覚えて下さることを信じよう。「あなたの願いが聞かれたのです」

2.信じない者ではなく信じる者となる

どんなに不可能であっても、不可能を可能にして下さる全能の神を信じよう。「神にとって、不可能なことは一つもありません。」(37)

3.神の時を待つ

神には「計画」があり「時」がある。忍耐をもって神の時を待ち続けなければならない。「その時が来れば実現します」

人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。(21)

やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。…

ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。(22)

その後、妻エリサベツはみごもり(24)、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。(57)

すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、

ものが言えるようになって神をほめたたえた。(64)

ザカリヤは、生まれた子供に御使いに告げられていた通り「ヨハネ」と名付けた。「ヨハネ」とは、「神は恵み深い」という意味。ザカリヤは、御使いの言われた通りに息子が与えられ、自分たちの長年の祈りが答えられたことを心から神に感謝し、神をほめたたえた。

神は、私たちの祈りを確かに聞いておられ、覚えておられる。不可能な現実のみに目を向けるのではなく、不可能の内にも働く全能なる神を信じ信頼しよう。神が祈りに答えて下さる時を忍耐をもって待ち続けよう。神の御業と栄光を見させていただき、神をたたえる者とならせていただこう(ヨハ11:40)。

Filed under: 伊藤正登牧師