あなたの人生の土台は?
マタイの福音書 7:24-27
2023年9月17日
今日の箇所は、山上の垂訓の結論部分になります。主イエスは聞いたみことばに弟子や群衆たちがどのように応答するかを問いかけています。家を建てることを例に話をしておられます。応答の仕方には2つの反応があります。
1.みことばを聞いて行わない
これは砂の上に家を建てた愚かな人に比べることができます(26節)。
砂は柔らかく不安定です。これは地上の人間的な営み全てを表していると言えます。外見は立派な家(人生)に見えるかもしれません。順調な時は大丈夫でしょう。しかし、人生には真価が問われる時、信仰が試される時がやってきます。それが洪水や強風で(27節)、これは大きな試練のことです。終わりの時代、この世界は揺り動かされ、私たちの人生にも揺り動かしがきます(へブル12:26,27 )。その時に自分の人生の土台が何であるかが明らかになります。私たちはみことばを実行する人になりたいと思います(ヤコブ1:22 )
2.みことばを聞いて行う
これは岩の上に家を建てた賢い人に比べることができます(24節)。
岩は堅固で安定しています。この岩はイエス・キリストのことです(Ⅰコリント10:4)。教会の土台はイエス・キリストです(マタイ16:18)。並行箇所のルカ6:47-49 を見ますと、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて」と書かれています。高く建てたいなら、深く掘り下げなければなりません。私たちの人生の土台はイエス・キリストですが、何を材料にして家(人生)を建てるかも大事になってきます。金、銀、宝石で建てるか。それとも木、草、わらで建てるか(Ⅰコリント3:10-15)。みことばと聖霊の働きによって建て上げていくか、この世の知恵と人間の力によって建て上げていくか。それは大きな違いを生みます。人生には燃えさかる火の試練がやってきます。その時に人生の土台と何によって人生を建て上げていたのかが明らかになります。
土台は目に見えません。砂の上に建てられた家も岩の上に建てられた家も、見た目はあまり変わらないかもしれません。私たちの人生もそうです。もしかすると、私たちの人生という家、クリスチャン生活&教会生活という家は、普段はあまり変わらないように見えるかもしれません。しかし、覚えておくべきことは、忘れてはいけないことは、真価が問われる時が必ずやってくるということです。その時に自分の人生の土台が何であるかがはっきりします。揺らぐことのないイエス・キリストを人生の土台にすることができますように。
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