2024.12.29
パウロは手紙でこのように書いていますが、パウロ自身はどうだったのでしょうか?(使徒の働き16:19-34)パウロとシラスはピリピで伝道した結果、牢獄に入れられてしまいました。牢獄においてパウロは決して喜べる状況ではありませんでした。でもパウロたちは祈り、賛美し、喜び、感謝したのです。彼らは喜ぶことを選び取ったのです。
2024.12.15
今日の箇所には2人の王、2種類の礼拝者が出てきます。
2024年9月29日
変貌山で主イエスの御姿が変わりました。ここにイエスの栄光を見ることができます。
2024年8月18日
パウロは24節で、人生・信仰生活というのは、走る競技に似ていると表現しています。当時のオリンピックでは、優勝者に月桂樹の冠が与えられたようです。パウロはコリント教会の兄弟姉妹たちに「あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」と勧めています。当時「賞を受けるのはただ一人」(24節)でした。彼らは朽ちる冠(金メダル)を目指しましたが、私たちは朽ちない冠を目指します。
2024年7月14日
主イエスは弟子たちに、自分が十字架に架かり、多くの苦しみを受け、殺されること、そして三日目によみがえることを話し始められました(21節)。
2024年6月30日
主イエスはツロとシドンの地方に来られました(21節)。現在のレバノンです。
2024年6月9日
5千人の給食の奇跡は4つ全ての福音書に書かれています。4つの福音書全てに記されているのは非常に珍しいことです。ですから、この出来事が弟子たちに大きな衝撃を与えた奇跡だったことが分かります。今日の箇所には3種類の人たちが出てきます。
2024年4月28日
創世記5章にアダムの系図が出てきます。「こうして彼は死んだ」と何度も書かれていて、アダムの子孫としての人間の運命が描かれています(5:5,8,11)。しかし、ここに死を経験しなかったエノクが登場します。
エノクは65年生きて、メトシェラを生みました(21節)。
エノクはメトシェラを生んでから300年間は神と共に歩みましたが、それ以前の65年間は神と共に歩んでいませんでした。エノクは65年間、神に反逆し堕落している世界を見ても、それほど気にならなかったのだと思います。心を痛めることはありませんでした。すなわち、彼自身がこの世に属する者だったのです。彼は神と共に歩んでいませんでした。
しかし、エノクの人生に転機が訪れました。彼は神と共に歩まない人生から神と共に歩む人生へと変えられました。何が彼の人生に起こったのでしょうか?何が転機になったのでしょうか。それは息子、メトシェラの誕生です(21節)。
エノクはメトシェラを生んで後、300年、神と共に歩みました(22節)。
メトシェラには、「彼が死ぬと、裁きが送られてくる」という意味があります。エノクは息子メトシェラが誕生した時に、神の導きによって、神の裁きが近いことを知り、悔い改めて神と共に歩むことを決心したのです。
エノクの名前には「従う」という意味があります。エノクは神に従う歩みをすることを選び取りました。神と共に歩む人生とは、この世の価値観ではなく、聖書の価値観に従って、みことばに従って生きることです。
そしてエノクは滅びゆく人たちに福音を伝えました(ユダの手紙 14,15)。
神と共に歩むとは、福音を伝える人生を生きるということです。
エノクは死なないで天に昇り、天に移されました(24節)。
これは空中携挙の型と言われます(Ⅰテサロニケ4:16-18)。
エノクは死なないで、神によって天に移されました(へブル11:5)。
エノクには本物の信仰がありました。終わりの時代に問われているのは、本物の信仰があるかどうかです。私たちの希望は天国にあります。キリスト者は栄光の姿へと変えられます。
エノクのように、神と共に歩まない人生ではなく、神と共に歩む人生を選び取っていきましょう。
2024年4月14日
主イエスが「4種類の土地に蒔かれた種」のたとえ話をされました。それぞれの土地は人が持っている心の態度を表わしています。人生で実を結び、霊的な成長をしていくには、心の姿勢が大切になってきます。
2024年3月24日
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です(Ⅰコリント1:18)。
イエス・キリストが十字架上で発した言葉を見ていきます。