241124
高ぶりという罪は、誰にでもありえることです。誰でもつい高ぶって失敗することがあります。レハブアム王の高ぶりとへりくだりから学びましょう。
24.11.3.
人生には、大小様々な選択がある。人生は一度だけ。貴重なもの。人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。今日は、エサウとヤコブの選択から学びたい。
241027
聖書にある神の言葉は、常識的に考えてありえないと考えてしまうことが多いのです。そんなとき、どうしたらよいのでしょうか。サラの信仰を学びましょう。
24.10.20.
人生には小大様々な選択がある。そして、人生は一度しかない貴重なもの。だから、この人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。間違った選択をして失敗しないためには、どのように選択をしたら良いのか。
24.10.6.
預言者の夫を亡くした妻がエリシャに彼女の子供たちが借金のために奴隷にされようとしていることを訴えた(1)。同様に、今日、人々は罪の奴隷となり、永遠の滅び(地獄)へと向かっている。エリシャは、そのような窮状から救うために彼女に言った。「隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。」(3) 彼女の子供たちが救われるために必要とされたのは「器」だった。今日も、滅び行く人々が救われるために必要とされているのは「器」。神は、人々を救いに導く「器」を求めている。その「器」とは、神の働き人のこと。パウロは、福音を伝えるための神の「選びの器」(使9:15)であると言われた。そして、私たちクリスチャン一人一人も「器」として神に召されている(ロマ9:24)。神は、人々を救いに導くために、どのような「器」を用いるのか。
2024年9月29日
変貌山で主イエスの御姿が変わりました。ここにイエスの栄光を見ることができます。
240922
日本では長年宣教がなされてきて、クリスチャン人口はあまり増えていないようです。また、教会の数は減っていると言われています。私たちはどのようにして将来に希望をもったらよいのでしょうか。アブラムの信仰から学びましょう。
24.9.15.
福音宣教は「エルサレム」から始まり、「ユダヤとサマリヤの全土」、さらに「地の果て」すなわち全世界に広まった(使1:8)。その福音宣教に大きく貢献したのがパウロ。パウロはどのような姿勢で宣教したのか。
24.9.1.
一般的に、「へりくだる」ということは、「自分自身を低くする」ということと言える。しかし、「自己卑下」とは異なる。Cf.コロ2:18。自分は罪深く、愚かで、無力な者であるとあまりにも卑下し過ぎることは、へりくだることではなく、「へりくだり」という仮面を付けた「高慢」でしかない。「主の御前でへりくだる」とは、どのようなことか。
240825
私たちは時々、努力しても何も変わらず、自分の無力さに気づいて落胆したり、絶望したり、心が疲れ果てて元気を失ってしまいます。そのようなとき、主のいやしと励ましを受けるにはどうしたら良いのでしょうか。エリヤも同様の経験をしました。エリヤの話から学びましょう。