主の霊を受けたサムソン(前)

士師13-16章

25.3.2.

サムソンは、士師記の中で最後に登場する12番目の士師。サムソンは、どのような士師だったのか。そして、サムソンからどのようなことを教えられるのか。

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いのちの息吹を受けよう

エゼキエル37:1-14

25.2.2.

エゼキエルは、エルサレムの神殿で仕えていた祭司だった。しかしBC597年、第一次バビロン捕囚の際に、バビロンへと連れて行かれた。そしてその5年後、バビロンの地で預言者として召された。エゼキエルは、バビロンの地で、ユダヤ人たちに神からの言葉を語った。エゼキエル37章は、イスラエルの回復について語られている。

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ダビデとエリアブ

Iサムエル17:17-32

250126

新しいことに挑戦しようとするとき、自分にはできないと思い込んでしまうことがあります。仕事が割り当てられたとき、「私にはできません」という人は多いです。しかし、何事にも勇気を出して挑戦しないと、何も進まないか、あるいは後退するだけです。ダビデとエリアブの違いを通して、私たちがどのようにしたら希望をもって歩み、未来を切り開いていけるのかを学びましょう。

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主の御声に従ったアブラハム

創世記22:1-19

25.1.19.

「これらの出来事の後」(1)とは、直前の21章に書かれている出来事。アブラハムにイサクが与えられ(21:1-7)、女奴隷ハガルと息子イシュマエルと別れ(21:8-21)、アビメレクとの平和条約が結ばれ(21:21-34)、平安な生活を送ることが出来た時、「神はアブラハムを試練に会わせられた」(1)。それは、アブラハムが主を信頼し、主の御声に従うかどうかを試すための試練であった。アブラハムは、主の御声にどのように従ったのか。

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みことばにとどまる弟子

ヨハネ8:31

25.1.5.

イエスは、弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタ28:19)と命じた。イエスは、単に「人々を信者にしなさい」と言ったのではなく、「人々を弟子としなさい」と言ったのである。イエスが求めているのは、単なる信者ではなく、「弟子」であるということ。そしてイエスは、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です」(ヨハ8:31)と言った。イエスの本当の弟子とは、イエスの「ことば」に「とどまる」者であるということ。イエスの「ことば」に「とどまる」とは、イエスの教えに従って生きること。それは、みことばに生きるということ。それは、どのようにしたら出来るのか。

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神が私たちに望まれること

Ⅰテサロニケ5:16-18

2024.12.29 

1.いつも喜んでいなさい 

パウロは手紙でこのように書いていますが、パウロ自身はどうだったのでしょうか?(使徒の働き16:19-34)パウロとシラスはピリピで伝道した結果、牢獄に入れられてしまいました。牢獄においてパウロは決して喜べる状況ではありませんでした。でもパウロたちは祈り、賛美し、喜び、感謝したのです。彼らは喜ぶことを選び取ったのです。

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救い主を探しあてた羊飼いたち

ルカ2:8-20

241222

およそ2000年前、ユダヤのベツレヘムで、羊飼いたちが野原で羊の番をしていました。すると突然、御使いたちが現れ、救い主がお生まれになったという素晴らしい喜びのメッセージを彼らに伝えました。それは私たちにとって、どれほど素晴らしいことなのでしょうか。また、どうすればその素晴らしい喜びを私たちも体験できるのでしょうか。みことばから学びましょう。

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クリスマスの喜び

マタイの福音書2:1-12

2024.12.15

今日の箇所には2人の王、2種類の礼拝者が出てきます。

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その時が来れば実現します

ルカ1:5-25、57-66

24.12.1.

イエス・キリストの誕生は、マタイとルカの福音書に詳しく書かれている。ルカの福音書では、イエスの誕生の前に、バプテスマのヨハネの誕生が書かれている。御使いガブリエルは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤに息子が与えられることを告げた。この出来事から、祈りについて教えられることが3つある。

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レハブアム王の高ぶりとへりくだり

Ⅱ歴代誌10:1-19, 12:1-8

241124

高ぶりという罪は、誰にでもありえることです。誰でもつい高ぶって失敗することがあります。レハブアム王の高ぶりとへりくだりから学びましょう。

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