わたしについて来なさい

ルカ9:57-62

24.8.11.

イエスは、ガリラヤ湖で網を打っていたペテロとアンデレに呼びかけた。「わたしについて来なさい。」(マタ4:19) すると、「彼らはすぐに網を捨てて従った」(マタ4:20)。また、イエスは舟の中で父と一緒に網を繕っていたヤコブとヨハネにも呼びかかけた。すると、「彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った」(マタ4:22)。イエスの「わたしについて来なさい」という呼びかけは「弟子」への招きだった。イエスは、私たちにも「わたしについて来なさい」と呼びかけている。ルカ9:57-62で、イエスは、イエスに従う者の心構えを教えている。

(さらに…)

天から降ったマナ

出エジプト16:11-31

240804

お金を求めてあくせくと働くことが神の御心なのでしょうか。イスラエルの人々が荒野にいたとき、イスラエルの神が不思議なパンで彼らを養ってくださいました。このことから神の御心を学びましょう。

(さらに…)

詩篇123篇

詩篇123:1-4

2024.07.28

1. 山に向かって目を上げる

昨年私は脳梗塞で倒れ、自分の無力さに悩みました。また、宣教においてもヨーロッパでは教会が衰退し、日本でも教会数が8000から6000に減ったと聞きました。このような状況で主に目を注ぎ主の御手が動かされることに期待したいのです。

2. 安逸をむさぼったり誇ったりしないで、主に目を注ごう

ウクライナとロシアの戦争では人々は人間的な思いで考察し、主の御言葉よりも、自分たちが勝てるようにという願いが優先されて主の御言葉を聞かない人もいる。また、神がいつも助けてくださるからと、何もせずに生きていけると安心しきって、主が日々与えてくださる挑戦には目を閉ざしていることがある。このような自分中心の考えは安逸をむさぼっていることになりはしないだろうか。私たちは主に目を注ぎ、御言葉に耳を傾け、主の哀れみを求めていくことが大切だと思う。

3. 私たちに不可能でも主が御手が動かされることに期待したい

世界でも日本でも宣教が進んでいるとは言えず大変と思う。しかし、主に目を注ごう。主が御手を動かし、門を開いてくださることを期待したい。主に憐れんでくださいと求めていきたい。イエスを信じていてもすぐに完璧にはなれない。もっとイエスを呼び求め、主に期待し、主の御業が動くのを見たいと思う。主は私たちのために十字架にかかり、私たちを贖い、ご自分のものとして買い取られたのは、私たちを通して主の御業をなしていきたいと願っておられるのではないだろうか。

自分の十字架を負いイエスについて行く

マタイ16:24

24.7.21.

「自分の十字架を負いイエスについて行く」とは、どういうことか。

(さらに…)

わたしについて来なさい

マタイの福音書 16:21-27

2024年7月14日

主イエスは弟子たちに、自分が十字架に架かり、多くの苦しみを受け、殺されること、そして三日目によみがえることを話し始められました(21節)。

(さらに…)

怒りを制する勇士となる

箴言16:32

24.7.7.

Ⅰコリ13:5には「怒らず」と書いてある。しかし、これを実践することはかなり難しい。実際には、家庭でも、職場でも、学校でも、町でも、教会においてさえも、様々な人との関わりの中で怒ってしまうことがある。しかし、聖書は、怒りを適切にコントロールすることを教えている。

(さらに…)

立派な信仰

マタイの福音書 15:21-28

2024年6月30日  

主イエスはツロとシドンの地方に来られました(21節)。現在のレバノンです。

(さらに…)

雨を求めて祈るエリヤ

Ⅰ列王記18:41-46

240623

人間にはできないことも神にはできます。だから私たちは神に祈るのです。しかし、どのように祈ればよいのでしょうか。エリヤは雨が降るようにと祈りました。すると主が祈りに応え、大雨を降らせました。エリヤの祈りを通して、祈りを学びましょう。

(さらに…)

感謝の心を持つ人になりなさい

コロサイ3:15

24.6.16.

日頃、家族のために、一生懸命働いているお父さんたちに感謝したい。さらに、私たちの天の父なる神にも感謝をささげたい。

(さらに…)

5つのパンと2匹の魚

マタイの福音書 14:13-21

2024年6月9日

5千人の給食の奇跡は4つ全ての福音書に書かれています。4つの福音書全てに記されているのは非常に珍しいことです。ですから、この出来事が弟子たちに大きな衝撃を与えた奇跡だったことが分かります。今日の箇所には3種類の人たちが出てきます。

(さらに…)