イエスにとどまり実を結ぶ(2)

ヨハネ15:4-8

22.9.11.

イエスは、ご自分と私たちとの関係を「ぶどうの木」の例え話をもって説明されました。「イエスにとどまる」、「実を結ぶ」とはどういうことでしょう。

〈前回からの続き〉

4.主の御言葉にとどまる

イエスにとどまるということは、イエスの御言葉にとどまるということでもあります。「あなたがたがわたしのことばにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまる」(7)とは、私たちがイエスの御言葉と一つになるということです。それは、イエスの御言葉をただ聞くだけとか、知っているというだけではなく、イエスの御言葉を守り行っているということです。イエスの御言葉を守り行うということは、イエスの御言葉にとどまるということなのです。そして、イエスの御言葉にとどまるということが、イエスにとどまるということなのです。「神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。…」(Ⅰヨハ3:24) イエスの御言葉にとどまり、それを守り行う人は、多くの実を結ぶことが出来るのです。

① 御言葉を守り行う(種まきの例え)

イエスの例え話に「種まきの例え」があります(ルカ8:4-8)。「道ばた」(5)、「岩の上」(6)、「いばらの真ん中」(7)に落ちた種は、実を結べませんでした。しかし、「良い地」に落ちた種は、「生え出て、百倍の実を結んだ」(8)とあります。この例え話に出て来る種は「神のことば」(ルカ8:11)です。そして、それぞれの土地は、御言葉を聞いた人たちのことです。

a) 道ばたの人

「道ばた」の人は、心が頑なな人で、御言葉を信じ受け入れようとしません(12)。

b) 岩地の人

「岩」地の人は、御言葉を直ぐに信じ受け入れますが、御言葉を守り行うことに伴う迫害や試練に会うと、信仰を失ってしまう人です。この人たちは、エゴとプライドという「岩」があるため、自分にとって都合の良い御言葉しか受け入れませんので、不都合なことが起こると、信仰に躓いてしまうのです。つまり、御言葉が根付かない表面的な信仰でしかなかったのです(13)。

c) いばらの地の人

「いばら」の地の人は、御言葉を信じ受け入れますが、御言葉を守り行うことよりも、この世のことを優先してしまう人です。この人たちは、人生の様々な事を心配したり、金銭欲や様々な欲望によって、御言葉を守り行うことが妨げられてしまうのです(14)。

d) 良い地の人

「良い地」の人は、「正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせる」(15)人です。この人たちは、御言葉を聞くだけではなく、どんな困難があっても忍耐をもって御言葉を守り行うのです。ですから、時が来ると、多くの実を結ぶことが出来ます。

② 御言葉を喜びとする

詩1:2-3には、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」とあります。「口ずさむ」とは、「思い巡らす」ということで、御言葉についてよく考えることです。そして、御言葉を思い巡らす目的は、御言葉を守り行うためです(ヨシ1:8)。御言葉にとどまるため、すなわち御言葉を守り行うために、「主のおしえを喜びと」することが必要です。では、「主のおしえを喜びと」いうことは、どういうことなのでしょうか。

a) 毎日聖書を読む

「主のおしえを喜び」とする人は、毎日聖書を読むことを喜びとします。御言葉を守り行うためには、御言葉を知らなければなりません。御言葉を知るためには、聖書を読まなければなりません。それは、苦しみではなく、喜びです。「乳飲み子」が絶えず「乳を慕い求め」るように、御言葉を慕い求めるのです(Ⅰペテ2:2)。

b) 御言葉を暗唱する

「主のおしえを喜び」とする人は、御言葉を暗唱することを喜びとします。「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子供たちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」(申6:6-7) 御言葉を暗唱することが、ユダヤ人の聖書教育の基本です。声に出して御言葉を暗唱することによって、自分自身に御言葉を聞かせることが出来、声に出さないで御言葉を読むよりも、御言葉を記憶にとどめる効果が高まります。また、御言葉は正確に覚えることが大切です(申4:2)。

 

ヤコ1:19には、「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはなりません」とあります。御言葉を読んでいても、学んでいても、知っていても、覚えていても、実行しなければ無意味であり、何の役に立ちません。御言葉を守り行っていない人は、イエスのうちにとどまっていないのです。自分の考えや感情に従うのではなく、周りの状況に合わせるのでもなく、自分自身を御言葉に従わせ、御言葉を守り行うのです。そして、御言葉にとどまり、御言葉を守り行う時に、祝福があるのです(ヨハ13:17)。私たちが「多くの実」を結ぶことによって、神の栄光を現すことが出来ます(ヨハ15:8)。イエスにとどまり、一つとなり、「多くの実」を結び、主の「栄光」を現しましょう。

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